昭和四十八年 五月二十二日 朝の御理解
御理解第二十一節 【信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。
神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。】
世界に信心の光を、ん..灯させて頂こうと、そういう願いが合楽で言われる、和賀心時代を創ろうと言うのです、ただあ..信心をしておりますと、拝んでおりますと、参っとりますというだけでは火はともらんのです、やはり、私共の心が和らぎ喜びに満ち溢れる、そういう心の状態に、え..尽きぬ御陰が頂ける、そういう心の状態と、尽きる御陰をもって初めて.え..世の中が明るくなる。
ですからまずは和賀心を頂かして頂く為の信心、そして和賀心に御陰があると仰る、その御陰を以って、私共は世の為.人の為に世の光にもならせて頂こうという願いを端的に言うと、ここでは和賀心時代を創ろうというておるのです、ですから今日はここの、【信心せよ、信心とは和賀心が信心に向こうのを信心というのじゃ】と..ね。
神様と例えば合楽の方へ一歩でも足を向けて、神様を念じ信.念じ.そして、え...神様の御名をお唱えするということそれもやはり信心ですけれども、ま.今日は、私は..その..ん..火が灯る程しのものを、今日は信心と聞いて頂きたいと思う、ですからそのままではまだ信心じゃないと.まあ今日は思うて頂きたい..ね、まっ.見解が広いですから、金光様と心を向ければもう信心です。
けども今日は、それではなくてです.自分の心の中に光を感ずる.ね、和賀心を感ずる、信心による和らぎの心.喜びの心を感ずる.という所までが、私は信心だ.と言う風にね、でなかったら、信心なければ世界は闇なり。と仰る、例えばほんなら.おぞう無像の信心がいくらあった所でです、世の灯かりになりゃしません..ね、だからここでは信心なければ世界は闇と仰るのは、信心そのものがもう自分の心の中に光になっておるんだと..ね、いうなら力になっておるんだと、もっというならばお徳になっておるんだと、その力が徳がその光が世の中に潤うていくのです...ね。
【カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火はともらず】御神徳の中に私共がおっても.ね、氏子に芯なければ御陰はなし.と仰るのは、カンテラの中にいっぱい油が入っておるけれどもです..ね、芯がないから、火を灯すにも灯されないと云う訳です..ね、
いうならばどういうことかというと、御陰を御陰と実感するということです。
カンテラに油がいっぱいある..ね、それが、芯がなからなければね、私共がね御陰を頂いとっても御陰を御陰と感じきらない..ね、その事を神徳の中におってもとこう仰てる。御神徳の中にそれこそ.神様の.御自愛の中に.生かされておっても、氏子に芯がなければそれはおかげとは頂けない、信心をさせて頂いてお取り次ぎを頂いて..ん..起きてくること良いこと、悪いことみな良いとこう仰てる、高橋一郎先生の御言葉ですね。
お取次ぎを頂いて、起こってくることもう良いこと.悪い事.すべてが良いのである.というならば、実感できる、どうぞ右になりますようにと言うてお願いしたけど左になった、ああこれは御陰じゃないのじゃなくて、それは、御陰と感じれれるということ..ね、それはもっと、具体的に申しますと、私が頂いとる御教えの中に..願った事が願いどうりになる時には、皆がやっぱり嬉しいです..ね。
けれどもそん時はむしろ.この用心しなきゃいけない信心、願いが願いどうりに成就すると..ね、右に願っても左にといったような時、ときにはね.氏子の願いではなくて、神の願いが成就しておる時とこう仰る。私共の願いが右と願ったのに左になっとるけれども、それは神の願いが成就する、けれども神の願いが成就するとはどういうことかというと、ほなら私共人間氏子が本当に、御陰を頂くということの、段取りが出来ておる.たということになるのです..ね。
甘木の初代、皆さんご承知のように一生懸命の御修行なさった、そん時ある時に、奥様が御夢を頂かれた、その御夢の中に(白髪のお爺さんが一生懸命荒地を開墾しておる、その横を奥様がこう通っておられる)という御夢であった、(通りかけられるとそのお爺さんが、その奥様に向かって、「帰ったら安武に言うとおけ」ね、備中の金光大神が、御陰の場というかね、いわゆる(開墾をいつでも種さえ蒔きゃ出来るように、いうなら開墾をしてやっておるぞ、そのことをかえったら安武に伝えておけ)という御夢であった。
そういう意味のことです、言葉ちょっと違いますけれども、そういう意味の事を頂かれたという事です..ね、もう一生懸命の信心をなさり、とうとう親兄弟の反対を押し切っ
え..教会修行に上がられる、それでもう金光様の教師になるというお許しを頂かれなかった、親兄弟が反対するようなことじゃ.まあだ教師にはなれない、というようなきついお言葉であった、それでも止むに止まれん思いが一生懸命の御修行になられ.れた。
そういうたとえば.ほなら七年間なら七年間という間、一生懸命修行なさっておられる時に、金光大神が一生懸命にその安武先生の布教に出られる.土地のいわば道をちゃんと付けておってくださる、開墾をしておってくださった、甘木の里に初めて全然....甘木という所はどういう所かも分からない町に布教されて、もうそれこそあれよあれよという間に人がどんどん助かりよった..ね、信心の喜びを持っておいでられた..ね、それをこう蒔かれるんです、もう開墾は広びろとその、いうならば甘木畑というものは出来ておった..ね、ですから安武先生はもうどうでも、そりゃもう神様が喜んでくださらんならんはずのような信心を一生懸命なさっておられる..ね、
教会にん..修行に入られる先生方が自分より遅か先生方がどんどん布教に出られる、自分は布教に出られない、金光様にお伺いしてもそういうようなご返事..ね同時にまた.あ..教会の立ち行き上にもです、自分がいよいよ御用なさっておられたから、あ..教会ではそいで困られるという考えもおわりになったらしい、ですから充分のあのまあ言うならば修行をなさったおられる、だから安武先生の願いはいうなら七年間全然成就しなかった。
けれどもその成就していない、目に見えないけれども、その間にさっさと、備中の金光大神がね、もう普通では、開墾も出来そうもない所をちゃんと開墾をして、地馴らしをしてね、種さえ持って来れば.何時でも畑として活用出来る程しの所まで、ちゃんと準備が出来ておった、甘木にでられたとたんにそれこそあっと.言う間に御比礼が輝いた、桂先生に逢うお弟子さんが、「親先生、安武さんの所では、どうしてあんなに御比礼が輝くだろうか」ちゅう、「安武は舞台裏の修行が長かった」と「だから、言うなら舞台に来ても花道に出たとたんに、おお向こうから『耶馬千両』と言う手声が掛かっているようなもんじゃ」と仰ったそうです..ね。
こういうところがです、例えば願うても願うても願い通りにはなってないけれどもです、実を言うたら「帰ったら安武に言うとおけ」..ね、こうして準備をしておってやっるぞということはです..ね、有っておるのですから、実はそのことを思い、右が.右と願って左となっておることが実は神様の願いが成就している時として、いよいよ手厚い信心させてもらわなければならない時なん..ね。
所がいくら信心してもと云うような気持ちになったり..ね、心が空ろになったりいたしましては、いわば相済まんことになる訳です。
そうしてね、それこそ願い以上の御陰、云うなら願わんでもと云うほどしの御陰、いうならば願い以上の思い以上の.まあ.夢にも思わなかったような御陰という御陰が展開して来た時が、本当の御陰だと思うです。
いわゆる、カンテラに油いっぱいあっても芯がなければということ、神徳の中におっても氏子に芯なければと仰る、それを御陰と感じきらなかったら、だから御陰を御陰と感じれれる、だから話をしては、成る程.天地の御恩徳に有ることはわかるけれども、実感としてお礼申し上げる心というものが生まれてくるような状態..ね、そこまで行かなければ今日私は信心せよ、信心とは和賀心が神に向こうておるとは云えないという.まあ難しい信心を今日は聞いて頂いた訳です..ね。
そして、例えば.ならカンテラに油いっぱい有っても芯がなければと、芯が有るから今度は、その芯に火を灯す、灯がともらねば世は闇なり、信心なければ世界は闇なりと仰る
その灯をともすという事はどういうことか、油いっぱい有る、お恵みの中に私は有るんだという御陰を御陰と実感する、それは右が左になろうが左が右になろうが、御陰と実感出来る所まで信心を進めていくということがです.和賀心が神に向うて進んでおるということなん。
それにほな火を点じるという事はです、そういう信心の喜びを持って、いうならば.世のお役に立ちたい立ちたいという一念を燃やして、まずは自分の手元足元の所から、前教主様が仰るように、自分の庭のいうなら門口を掃くでもそれは、世界を清める事に繋がっておると思うてと仰ります、だから足元も所から出来るわけ、そして自分の所だけを..ね、奇麗に掃いて.してゴミくずは隣り方へこうやて掃きやるというような意味じゃないです..ね自分の前を掃かせて頂く、でも世界の一部が清まっておるんだと、いうなら自分の心の中に、かすかながらにも喜びが頂けれる、和らぎ喜びの心が頂けれる、という事はもうすでに自分の前だけは明るうなっておると言う事なんです。
いうならそういう信心を家の中に一人がしとる人がおるならばです..ね、もう家の中が明るくなるということです、もう自分方の門口はもう綺麗に清められておるというようなです、そういう私は信心が、火を灯す事だと思います。
昨日、午後の奉仕させて頂こうと思うて、ここ付きましたら、二十数年前に.え..私の話しをもう熱心に聞いてくださった方達が二人連れでやって来ました。
福岡のざいのほうの方達です。え..眞名子さんのお話をいつも致します、眞名子さんがえ..亡くなられまして、え.月に何回かお話に行ったんです、もちろん普通の教職も何も持たないお婆さんでしたけれども人がどんどん助かる、やっぱり昨日、信者が七十名ぐらいあったて、もうご夫婦とも亡くなれまして、ん..もうその信者もバラバラになって今十人ぐらい残ってるでしょう、それが時々まあ福岡教会.親教会ですから、福岡教会お参りしておる程度ですけれども、先日、あの大坪先生のこと聞かせて頂いて、止むに止まれぬ思いで、今日はお休みでお参りして来たと言うて参って来た。
桜井先生もよう知った方ですから、私丁度.昼の御祈念に見えると思うて見えなかった方、電話したからすぐ見えた、でも昔懐かしい話を一生懸命させて頂いたんですけれども、え..と申しますかね、もう本当に..その時分の二十何年前の信心を改めて思うてみて、御陰を頂かせていて頂いたんですけども、とにかくああいうその難儀の最中にあってから、もう心の中に点じておるその光をね、もうどこへでも持って、それが潤うことになるならば、そうしなければおれない時代のことでございます。
まあそれを昨日の御理解から引用するとですね、ん..御本部でその方達のグループと、私が月参りの時に丁度出会った、そいからその「いやあ、大坪先生」て言うていうたら、一緒にそこにござったそこの親先生という人が「大坪さん、あんた何時教師になったな」て言わっしゃった、皆が「大坪さん、大坪さん」あの「先生、先生」と言うもんだから、「そん時には、本当に先生が顔色一つ変えられなかった事が非常に印象に残っておる」とこう、「まあほんにそげな事が有りましたなあ」というくらいにです.私には一つも問題じゃなかったです。
もうそれはね、心の光で暗いものなんかもう一つも暗いものに感じなかったと言う事なんですよ..ん。私を大坪先生て言うてくれいうて.私いいよとじゃありません、皆がいいよんなさるとよというんな事じゃなかった、そらもう本当にまあえげつない先.言い方される先生でしたが、あんた何時.あの教師.先生になったなといわっしゃった。その事を覚えて昨日話しておられましたがね。
問題は自分の心の中に光を頂いておればです、暗いことが暗い事にならないのです。ちっとばかり信心の光と思うておるのが、何かがあるとプツともフッキンされるように、又暗くなると言ったようなことでは、点いたり消えたりでは本当のことにはならんと思うですよね。私共がどうでも一つ【信心なければ世界は闇なり】と仰るほなら信心があれば世界が明るうなると言うほどしの信心を一ついよいよ身に付けていきたいと思うですね....
....どうぞ
渕上順子